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千野圭一の辛口コラム

第435回:鹿島の優勝と下位争いにクラブのあり方の違いを見る

2008.12.12 UPDATE

 サイトの更新の都合もあり、このテーマも時期にそぐわない内容になってしまう可能性もあるが、2008年を振り返った後、2008年のドラマチックな展開が待っていて華々しく繰り広げられた。J1リーグの最終節、優勝争いと下位の降格のサバイバル。悲壮感を漂わせるのは降格レースの方だから、こちらの方がヒートアップするし、ドラマ性も助長される。
  特に今季は凄かった。コンサドーレ札幌だけが早々とJ2への自動降格を決めたが自動降格のもう1チームと入れ替え戦を戦わなければならない16位のチームが決まらず、最後までしのぎを削った。
 その中でジェフ千葉は自動降格になる17位の最有力候補だった。最終節での危機脱出の条件はまず自らがFC東京に勝ち、ジュビロ磐田と東京ヴェルディがそれぞれホームで大宮アルディージャと川崎フロンターレに敗れなければならなかった。
 だから残留は神がかり的要素もあった。テレビの前にいれば、それぞれの経過を把握しながら見ていられるが、現場のスタジアムにいると、時差の伴う一喜一憂にしびれる思いをされたのではなかろうか?

 千葉ファンならずとも、最後の試合のエキサイトは実感できた。まず2点のリードを許したときは絶望のどん底だったろう。
 ゴールの期待を託されて入った2人の交代選手が、絵に描いたようにゴールに絡んでもまだ同点。この試合のミッションを達成するまでにはまだゴールが足らない。その足りないゴールをあっという間に重ねたのだから神がかりだ。3点目が入ったときにはスタジアムが揺れ、おまけの4点目には安堵の涙を流す者もいただろう。
 固唾を呑んでそのときを待つ他会場の結果を知って、ついに12月6日はジェフにとっての奇跡の日として現実になった。
 ドラマの一日の最終結果は、千葉が15位で残留。東京Ⅴが17位に沈んで2部降格、磐田は最後の望みを入れ替え戦につなぐ16位に収まった。

 だが本当に重要なのは下位のサバイバル・レースではなく、優勝の争いだ。こちらは至極簡単。首位に立つ鹿島アントラーズが敵地でのコンサドーレ札幌戦に勝てば決まる。最後までわずかに優勝の可能性を残した名古屋グランパスも川崎も鹿島がかってしまえばそれまでだ。
 勝てば優勝の試合で、相手が最下位の札幌であっても勝って決着をつけてしまう鹿島は強い。昨年に続く連覇で、スタートから15年が経過したJリーグで強さを継続している鹿島の偉大さが特筆されよう。一時期、鹿島が打倒を叫んでいた東京Ⅴと、ともに黄金時代を生きた磐田が下位に苦しむ現実にあってはさらに顕著になる。

 Jリーグは日本サッカーの発展のためにスタートし、日本のレベルアップに貢献してきたが、大義名分は後付でも良い。Jを構成する各クラブはプロであり、ビジネスを展開しているわけだ。
 プロサッカー・クラブのビジネスとしてのあり方は、ファンに魅力的なサッカーを供給すること。現実としてはどうしても勝利が第一義となるがそれも致し方ない。鹿島は15年の間に一時的な低迷があってもすぐに建て直し、様々なタイトルにチャレンジする強さを取り戻してきた。
 いつも何かにせきたてられるように強いチームを作るための模索を繰り返してきた結果だと思う。ジーコの精神も選手たちにまだ受け継がれていると思う。事あるごとにジーコは、すべてのタイトルを取りに行くと貪欲な姿勢を見せていたが、優勝が決まった夜の祝賀テレビに出演していた若い選手たちの口からも、来季の抱負で同様のコメントが聞かれたのは頼もしかった。
 一方で、J2に降格した東京Ⅴは、再建の強化策に迷走が見られるし、磐田は降格の危機にオフトを呼び戻す策を講じたが、今後、将来に目を向けた明確なビジョンを示せるかで、鹿島との差にも変化が生じてこよう。
 神がかりに助けられた千葉も同様。チーム強化のタクトを振っていたオシムさんが代表監督に召されたのは不運だったが、クラブとしては毎年、主力を放出してきた付けを払わされているのは明白。資金力が乏しくても十分に生き残り、魅力のあるクラブに変貌させる術を探っていかなければ、毎年、クラブの命運を神がかり、奇跡に頼むしかなくなってしまう。

 今のご時勢では、金持ちクラブなど一握りのはずだ。どのクラブにもビジネスのための創意工夫が必要になってくる。サッカーと同じだ。だから今後も着々と努力を続けているチームが栄光の美酒に酔うことは何の不思議でもないということだ。

Profile

千野圭一(ちの・けいいち)
1954年生まれ。東京都出身。 1977年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。サッカーマガジン編集部へ配属され、1982年には編集長に就任(~1998年)。 1993年にはJリーグ開幕にともなってサッカーマガジンの週刊化を実現。その後も、1996年のアトランタ五輪でのブラジル戦勝利、1998年のワールドカップフランス大会への日本の初出場など、日本サッカー史の節目を見守ってきた。 辛口のサッカー批評で知られている。